今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「アホ、受験勉強が一生役に立ったらどれだけ怖いか 森毅」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「世界の問題には正解は一つしかないという考えは、受動的で硬直した心性しか育まない。大学でも、こうかもしれんしああかもしれんと呻く教師がいて、学生らも『あのおっさんいい加減やしな』と言う研究室は概して研究も活発だと数学者は言う。『賢くなり合う関係』がそこにある。親が賢くならずに子を賢くしようとするのも無理だと。河合隼雄らによる『学ぶ力』から。」私は昭和の時代に教壇に立っていました。まさに一つしかない正解をどう求めていくのかに特化した教育姿勢があって、それはそれで今から考えると随分安易で楽な授業だったと振り返っています。教師も生徒も疑うことがない学習内容。その中には疑問を持った生徒も多少いたと思いますが、その声をあげることは周囲の空気が許さない状態でした。私は美術科でしたが、美術の場合でも一つの正解を欲しがる生徒たちがいて、私も安易な指導をやっていました。基礎的な学習はこれでいいんだと自分を納得させていた節もあります。一方で私が二束の草鞋生活で実践していた創作活動では、「こうかもしれんしああかもしれんと呻く」ことばかりで、正解なぞ一生かけても見つからない暗中模索の中を彷徨っていました。それは現在でも続いています。学ぶ力とは何か、私自身が身近な創作活動で実践していたことを、どうして授業に生かせなかったのか、美術を通して生徒に何を身につけてもらいたかったのか、あの頃を振り返ると、その在り方を自問自答してしまうのです。幸いにも私と同じ美術を専攻する教え子たちは、私と同じ地平に立って、「賢くなり合う関係」であることが唯一の救いになっています。学ぶことは悩みも多ければ、楽しいことも多いのは、正解が一つではないからで、その多様な解決の糸口を探り当てていくのが極上の喜びなのだろうと思っています。