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2026/05/27 Wednesday
新聞記事より「強烈な相剋があるにしても…」
今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「社会全体が、たとえ内部に強烈な相剋があるにしてもそれをカバーし、緊張的な共感に貫かれているという時代ではない 岡本太郎」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「現代の芸術家は『許された範囲内』でもがくばかり。『遊んでいない』、痛々しいばかりに遊べないでいると、前衛芸術家は言う。血の噴き出るような個人の訴えに社会が応えることがなく、みなバラバラにされていると。70年万博の数年前の発言である。まだまだ絶望が足りない。もっと絶望せよと言いたかったか。『原色の呪文』から。」今は亡き岡本太郎が残したもので、私は絵画や立体作品より、著された多くの書籍に魅力を感じています。因みに彼が書いた「縄文土器論」は私にとってバイブルのようなもので、陶彫制作では指南役になっています。この記事が書かれたのは70年万博の数年前というので、私がまだ小学生だった頃になります。私が知っている一つ上の世代の芸術家たちは反芸術を旗印に固定概念を打ち破ろうとしたのを、高校生だった私は何となく理解していましたが、さらに前の世代の人たちは内部に強烈な相剋を抱いていて、それが報われない社会全体に不満があったのは確かなようです。その見方で現在まで見ていくと、当時から日本の社会はほとんど変わっておらず、しかもそれに反旗を翻す芸術家もいなくなっているのではないかと思います。それにしても岡本太郎の書かれた文章に古さを感じさせない魅力があるのは何故だろうと思っていますが、それは造形美術にも通じる概念があって、常に不変で恒久なモノを追求してきたからこそ、文章にもそれが表れているのでしょう。