「奇想の美術館」(アルベルト・マングェル著 野中邦子訳 白水社)の第2章である「不在としての絵画」について、気に留まった箇所を取り上げます。「描写不能のものは最初から描くことを拒否するという古代の考え方を踏襲したのがジャクスン・ポロックである。人類最古の、そして最も深い理解を、彼は直観的に知ったのだ(と、本人は信じていた)。さらに、そのような理解はーかりに本物だとしたらー人に伝えられるものではないということにも気づいた。それを表現しようとすれば、どんな言語でもーそれがどんな発音や文字をもったものであれー言語特有の性質として、かならずやその認識を束縛し、変形させてしまうからである。はるか昔からのそんな思いをキャンバスに定着するには、言語の外側で制作しなければならなかった。あるいは、言語不在のなかで、といってもいい。~略~(ジョーン)ミッチェルは、無に惹かれるという点ではベケットに共感したが、彼の絶望に対しては共感をもたなかった。彼女は根っからのロマンチストであり、ポロックと同じように、『行為を意識せずに』絵を描こうとした。『自分を自分でコントロールしたかった。自意識過剰だと感じたら、すぐに描くのをやめた』とミッチェルはいっている。彼女の言い分によれば、自分の絵のなかでは何も『起こらず』、何も『描かれない』のだった。~略~一枚の絵を読み解くことーそれはタロットカードで運命を読みとったり、亀の甲羅を焼いて将来を占ったりする迷信と同種のものであるーは、一人の書き手であり同時に一人の読者である私たちにとって、このうえない特権ともいえる。鑑賞者としての私たちが目の前の絵のなかに入りこむには、それが唯一の手段だからである。それは無益なことかもしれない。視野は狭く、得られる結果は貧弱なものかもしれない。芸術作品といえば聞こえはよいが、私たちにできるのは、幽霊のようなかすかな影を捕まえ、ぼんやりと曇った鏡を覗きこむことだけかもしれない。」今回はここまでにします。