先日、東京の上野にある東京国立博物館で始まった「大徳寺」展に行ってきました。まだテレビの美術報道がないためか、逸品揃いの展覧会にも関わらず思っていたほど混雑はなく、じっくりと鑑賞出来ました。京都の大徳寺は塔頭寺院が居並ぶ大きな寺で、私はそのうちの一つである大仙院に足を踏み入れたことがあります。枯山水の庭園を見るためでしたが、その中で船の形をした石が妙に印象に残っています。これは私事旅行ではなく、以前教職に就いていた頃の修学旅行の引率だったのかもしれません。ともあれ今回の展示はあらゆる分野を網羅していて、見応えがありました。「頂相」(師僧の姿を描いた肖像)や遺品としての文物などがあり、大変な価値を有するものが展示されていたとは思いますが、学識を持たない私は呆然と眺めていただけで、気に留まったのは茶の湯に使われたであろう高麗茶碗と曜変天目、狩野派の面目躍如ぶりが見られた障壁画の数々でした。障壁画に関しては私の心に響いた表現もあったので別稿を起こそうと思います。図録より大徳寺の輪郭を捉えた文章を選んで記述しておきます。「大徳寺は、開山・宗峰妙超(大燈国師)の峻烈な禅風を今に伝える、洛北随一の巨刹」であり、「後醍醐天皇は大徳寺を『本朝無双之禅苑』と尊宗し、日本に二つとない禅苑としての光輝を放つ」ことになります。さらに「一休宗純や沢庵宗彭、江月宗玩ら傑僧が輩出するとともに、織田信長や豊臣秀吉ら戦国武将たちからも篤い信仰を集め、壮麗な障壁画と明媚な庭園を擁する数多くの塔頭が建立」されたようです。また「千利休や津田宗及をはじめとする豪商や数寄者との所縁が深い」ことでも知られていて、ここまで文章を羅列するだけでも大変な存在感を放つ寺であることは疑う余地がありません。とりわけ禅という仏教用語が寺の本質を成していることに私は興味関心を持ちました。禅とはネットで調べれば「心が動揺することのなくなった状態」を言い、最近では日本びいきの外国人たちに人気のある言葉です。ただ私自身は日本人でありながら、禅を理解しているとは言い難く、私たちに根づいている不確かな感覚なのかなぁとも思っています。ともあれ、「大徳寺」展の障壁画についてはもう一度、別稿を起こします。