今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「決定的に重要なのが『失敗する権利』の保証である。 山本宏樹」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「暴力が多発する学校への監視装置の導入をめぐる議論は、統制のための監視か、生徒の自主性と安全確保のための見守りかで分かれる。だがそれは管理する側の論理。生徒は失敗を通じて学び直すのだから、自ら安全設計に参画し、関係を修復する過程を経験する権利があると、教育社会学者は言う。論考『子どもの〖見守られる権利〗を設計する』(『現代思想』4月号)から。」私が教職に就いた時代は、全国的に学校が荒れていて、横浜でも例外ではなく、マスコミに取り上げられた浮浪者襲撃事件に加担した学校に私は赴任しました。当時も高圧的な指導では教育を正常化することが出来ず、先生たちは辛抱強くひとり一人の生徒の心に寄り添おうとしていました。当時は働き方改革の発想はなく、いついかなる時も連絡が入れば、生徒の元に駆け付ける体制が出来ていました。生徒に「失敗する権利」があれば、それによって迷惑がかかる生徒もいて、彼らにも「まともに学習する権利」が存在します。まともに学習する生徒はモノを申さぬ衆で、その同調圧力に対し、失敗し迷惑をかけた生徒はそこに居られなくなるという事態も起きてしまいます。「失敗する権利」の保証は、なかなか一筋縄ではいかない難しさがあります。他人に迷惑がかからない自分だけの失敗は、やがてそこで学んだものが人生の糧になるので、やり直しは大変有効です。「失敗する権利」が大手を振って歩いているのは学校教育の特徴で、うまくいったことより、失敗したことの方がより深い学びに繋がっているからです。失敗をリセットしてやり直そうと考えがちですが、リセットしてもゼロにはなりません。労力を使ってやり直すことが良い結果を残すことになることが多いのです。