「奇想の美術館」(アルベルト・マングェル著 野中邦子訳 白水社)の第3章である「謎だらけの図像学」について、気に留まった箇所を取り上げます。本章はロベルト・カンビンの「暖炉囲いの前の聖母子」についての考察です。「伝統的に宗教絵画の素材とされるもののかわりに、日用品を描くことで、ここでは二つの目的が同時に達成されている。ごくふつうの家庭にいる人間の母親を神の母として描き、それによってキリスト教世界の神聖な高みにもちあげること。そして神聖さの特質を卑小化し、家庭の日用品になぞらえて、神聖な存在に人間味を与えることである。~略~ローマ帝国時代の後期には、太陽神アポロンが頭上に光線でできた冠をかぶった姿で描かれた。光り輝くイメージでは、最初のキリスト教徒の皇帝であるコンスタンティヌス一世の紋章になり(のちにヴェルサイユ宮殿で統治した太陽王ルイ十四世はその紋章を借用した)、またキリスト自身のシンボルにもなった。神の子羊たるキリストにならって、天使や聖人たちはみな神聖さをあらわすこの特別なしるしを受け継いだ。それが頭上の光輪である。そして、絵画表現の特質のなかで、西から東へ伝播した珍しい例の一つとして、光背は中東やインドを経由して広がり、ついにはブッダの頭上を飾ることになった。」最初の絵に戻ります。「暗い片隅には飾り気のない三本脚のスツールがひっそりと置かれている。三位一体の神の存在を思い出させるためだろうか。画家たちにとって、キリスト教美術の始まり以来ずっと、三位一体という考え方は神学の教義という範囲を超えて、扱いにくい図像学上の悩みだった。~略~性器はキリストの人間性をあらわす。永遠の存在としてのキリストは死や性欲とは無縁である。だが、人間としてのキリストはその両方に苦しんだ。したがって、キリストの性器は人間としての彼の人生の両極端を示している。幼児のキリストと死んだキリストである。後者の場合、性器は聖痕のある両手のひらで隠されていることが多い。」今回はここまでにします。