Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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週末 陶に纏わることを考える

日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今まで幾度となく陶に纏わることをNOTE(ブログ)に記してきましたが、工房で毎日陶土を捏ねて造形をしていれば、繰り返し陶についてあれこれ考えてしまうことは私にとって自然です。陶土を手に持って作り込んでいく単純な作業は、縄文時代から行われていた行為と同じで、これだけAI万能の社会になっても、私は工房内では原始時代を生きていると思っています。私の制作する陶彫と火焔状縄文土器との間にたいした差異はありません。ただし、私の作品は無釉にして1200度以上で焼成するので、厳密には炻器に分類される技法だろうと思います。「人類が物質の化学的変化を応用した最初の出来事」と述べた英国の考古学者の言う通り、火に入れて高温にすることで土が食物や水分を蓄える器になり得ることを発見した人類の曙期には、陶は文明の発展に大いに寄与したことでしょう。陶はまた、器の他に祭祀に使われたであろう霊的存在としての土偶があります。私の作っている陶彫はこの土偶に近いものかなぁとも思っています。勿論私の陶彫に宗教色はありませんが、器でないという括りで言えば、土偶と同じと考えてもいいのだろうと思います。自作の制作工程で彫り込み加飾という工程があって、それは火焔状縄文土器で言う火焔に当たる装飾です。これは陶土を削ったり足したりして紋様をつけていくのですが、つい面白くなって凝ったものを作ろうとしてしまいます。私の作品は集合彫刻なので、ひとつの陶彫部品だけ飛び抜けた細工をするわけにはいかず、全体を見渡して加飾をコントロールしていくのです。人類が曙期から土に慣れ親しんできたという遺伝子があるせいか、陶土に触れていくと私は元気になれます。その時の心身の体調ではなく、陶土の乾燥具合で制作を進めていくことを以前のNOTE(ブログ)に書きましたが、それが出来るのは陶土が私に与えてくれる元気の素があるからです。今日は陶に纏わることについて脈絡のない言葉を綴ってしまいました。

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