日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。「ピカソの画風のなかで、けっして変わらなかったのは、モデルに対する態度である。~略~ピカソは他人に深く共感することができなかったのだろう。そのせいで、他人の肖像画を描くときも、結局は自画像になってしまうのだ。」これは先日NOTE(ブログ)に書いた文章で「奇想の美術館」(アルベルト・マングェル著 野中邦子訳 白水社)から引用してきました。自画像と言えば、私はほとんど自画像を描いたことがなく、学生時代に鉛筆で丹念に描いた1点と油絵1点、それに教職に就いていた頃に教材研究として描いた素描1点くらいしかありません。ましてモデルを使った肖像画はほとんどありません。学生時代の肖像彫刻の習作はいっぱいありますが…。ピカソの作品を見ていると、確かにモデルに似ているかどうかより、感情の入れ込みを新しい造形概念にして描いていく作品が多く、「奇想の美術館」で取り上げている代表作「泣く女」や「ゲルニカ」だけでなく、すべての作品がピカソの自画像に見えてしまうのは私だけでしょうか。その概念を大きく捉えれば、写実的な作品に限らず、抽象作品でも作者の内面が投影していれば、それはすべて自画像(彫刻の場合は自刻像)と言えるのではないかと私は考えています。つまり、私は陶彫によって自刻像を作り続けていると言ってもよいと思っています。20世紀になって美術の概念が広がっていき、21世紀になってもこれが果たして芸術なのかと思える作品が増えています。表現の多様化は私も歓迎するところですが、止まれ、提示されている作品の中には思索が先行するあまり、作者の内面が見えにくい作品もあります。作者の思いが鑑賞者にも届く作品、それを私は評価の基準にしている傾向があります。それは映像表現であってもインスタレーションであっても、作者の思いが鑑賞者に伝わるものであれば、意味のある体験ができると思うからです。作品に自画像(自刻像)が表れているかどうか、私が感じるひとつの方法でもあるのです。