Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「物語と絵」について

「奇想の美術館」(アルベルト・マングェル著  野中邦子訳  白水社)の最初の章である「物語と絵」について、気に留まった箇所を取り上げます。「周囲にあふれるさまざまなイメージ、すなわちかつて自分のものだった美の記憶の一部に溶けこんだこれらのイメージのなかに何を発見するにせよ(と、プラトンはいう)、あるいは言語によって想起されるなんらかの可能性からどれほど斬新な解釈が導き出されるにせよ(と、ソロモンはいうだろう)、結局のところ、人間は本質的に絵でできている。つまり心に描くイメージによって作られた存在なのである。~略~だが、そんなイメージの意味を完全に解読することは可能なのだろうか。あるいは、どんな絵にも、せめて自分たちなりの解釈を下すことができるのだろうか。そうだとしたら、すべての絵には暗号が含まれていて、だからこそ見る人の興味を引くということになる。それでは、暗号とその解読という自己充足のシステムでしかない。~略~自然や偶然の出来事が、さまざまに解釈でき、日常的な言葉に翻訳され、人間が作りだしたきわめて人工的な音をもつ語彙のあれこれに変換されるものだとすれば、一方でそれらの人工的なあれこれが、逆に偶然の出来事を想起させ、自然を鏡のように映しだし、あるいは言葉とイメージのパラレルワールドを出現させることもあるだろう。人はそれを通じて、自分たちが現実と呼ぶこの世界の経験について理解を迎える。~略~美術作品のイメージは知覚の隙間に存在する。画家が想像したものと画家が実際に描いたもののあいだ、私たちが名づけるものと画家の同時代人が名づけたもののあいだ、私たちの記憶のなかにあるものとあとから習得するもののあいだ、世間に受け入れられた既成概念と祖先から受け継いだきわめて個人的なシンボルであらわされる深い概念のあいだにある。」今回はここまでにします。

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