現在制作中の新作陶彫作品に「発掘~六塔~」というタイトルをつけました。単純すぎるタイトルですが、他に考えられなかったのが正直なところです。一応、前作の「発掘~六蹟~」を考案した時に、AIにその意味や由来を聞いていました。何か別の意味があると誤解が生じると恐れたからです。今回もAIを頼りました。「『六塔』」の由来は、六つの塔にまつわる伝説で説明されることが多いものの、史料上は北宋時代の「六塔河」という地名が古く、正確な語源は確定していません。」とあり、中国の地名以外は特に見当たらないので、これを採用しました。私は自作のタイトルを簡潔にしたいと考えていて、発掘シリーズは漢字2文字で表記しています。その文字の組み合わせが自分の創作であったにしても、タイトルで具体的なイメージが伝わるように考えているのです。文字が表している意味以上でもなければ以下でもないという、あまり説明を要しないのが自作のタイトルだと私は思っています。ただし、タイトルは作家によっては拘りを持っている人が多く、作品の思索をさらに深めるために考案する人もいます。学生時代に注目していた故若林奮先生のタイトルを、学生だった私はその意味と彫刻作品との関連をずっと考えていました。例えば円柱木材に鉛を嵌め込んだ作品に付けられた「振動尺」とは何か?「100粒の雨滴」を見ると眼前に鉄板が幾重にも重なっている立体があり、それが何故雨滴なのか?その頃は彫刻は哲学や詩作だと主張する者もいて、私も作品が抽象化するにしたがって、それもあるかもなぁと考えていました。それでも私は彫刻に内包する何かをタイトルに反映することもなく、作品を見たままの漢字2文字にしていました。昔から詩が大好きだった自分が、彫刻作品に詩的タイトルをつけなかったのは、具体性を持った物質で構成された立体と、コトバによる世界に何か乖離するものがあったとしか言い表せません。それでもホームページに載せた作品に言葉を紡いでしまうのは、それが画像だからと言うべきか、自分には今も迷いが生じているは確かです。今言えることは彫刻作品には単純すぎるタイトルが一番相応しいと私が思っていることです。