今日の朝日新聞「天声人語」に掲載された記事に注目しました。「(前文省略)幸田文の美文を引けば、キュウリとナスとミョウガを洗って、サイの目に包丁の音をきざみ、醤油をふりかけ、さっとかきまわせば『さあという涼しさである』。ナスを『夏の畑の王者』と好んだのは水上勉だった。庭からナスをもぎ、蒸してショウガを添え、醤油をかけるのがいちばんだと作家は書く。『これは、土の味である』。昨今の異常気象で、価格が急騰する食材も多いなか、当たり前のように毎日の食卓に鎮座するナスはありがたい。紅楼夢を引くまでもなく、やたら非凡さを求め、必要かも分からぬ汗をかくのは人の常だが、馬齢を重ねてみれば、素で居続ける尊さが身にしむ。きのうは二十四節気の白露。暦のうえでは、秋を深く知る頃だとか。〈ひそやかに一雨過ぎし茄子の馬〉石井淳也。この夏はよく食べた。秋のナスも、楽しみである。」私もナスは大好物で、この野菜が出回ると夏から秋へ移り変わる季節を感じます。自宅の隣りは家庭菜園になっていて、さまざまな人が野菜を作っていますが、私たちと付き合いのある隣人は嘗て農業をやっていたのではなかろうかと思わせるほど立派な野菜を作っていて、たまにお裾分けをしていただいています。その中に見事なナスがあって、それが食卓に乗ると幸せを感じます。旬の野菜や果物が美味しいと感じられるようになったのは、私は大人になってからだなぁと思い返しています。我が家の祖先は元々半農半商だったので、子どもの頃から旬の野菜を食べていたはずですが、あまり記憶が定かではありません。近くに出来た団地でご馳走になった洋菓子が美味し過ぎて、我が家の茶請けはどうして蒸したサツマイモばかりなのだと祖父母に駄々をこねて困らせていました。その頃のナスやキュウリは家の台所にたくさんあって、それが贅沢とは思わなかったのでした。その頃の私にとって「夏の畑の王者」はスイカで、我が家の畑からスイカはよく盗まれました。それだけは悔しかった思いが今も甦ります。