「綺想の美術廻廊 種村季弘・異端断片集」(斎藤靖朗監修 芸術新聞社)の「怪物」について、気に留めた箇所を取り上げます。本章では図録に添えた短文を、さらに選択して羅列してあります。「怪物に関するビュフォンの有名な定義は次の三つの博物学的網目から成り立っていた。『第一の網目は過剰による怪物のそれであり、第二の網目は欠如による怪物の、第三網目は諸部分の転倒、もしくは誤れる配慮による怪物のそれである。』」「18世紀におけるピュグマリオン・テーマの流行の背景には、ルソー主義的な『高貴な野蛮人』への憧憬がある。吸血鬼も、ドン・ジュアンも、フランケンシュタインの怪物も、ゴーレムも、すべて文明の汚染を知らない野性的な自然人として脚光を浴びた。」「悪魔礼拝の類似現象である人狼変身や吸血鬼変身は、性器的性愛を中心とする人間の性愛の位階制度からの、口唇期的肛門期的攻撃性の無際限の解放としての動物変身である。」「古代人は、大地なり、ある場所なり、地下の世界(冥府)なりの魔術的な力が根を通じて地上の植物に送り届けられ、それが花を咲かせたり、植物の薬効を育んだりするのだ、と信じていた。とりわけ根は冥府の神々に近いところにあるために、悪魔信仰には不可欠の特殊な力の源泉であった。」「キマイラやケンタウロスは現実には存在しない動物だが、その肢体の部分部分は現実に存在する要素から採集されている。悪魔でさえも角は山羊、足は四足獣、手の水掻きは両棲類、身体中に密生する鱗は水中生物から取材した合成像である。」「一般に空想や幻想は旅や旅人の産物である。異国の物産や習俗が自分たちのそれとあまりにかけ離れているために、異質のものを一つに結びつけて理解しようとするあまり、期せずして概念の怪物が出来上がってしまう。」「ファンタジーはいつも、同質の文化圏の連続性のなかでより、異質の文化の衝突のなかでめざましい役を果たす。~略~幻想は交通量と反比例する。現代のように交通が便利になってしまった時代に桃源境や魔境や幽界がおいそれとは見つからなくなってしまったのも、まさにそのためだ。」今回はここまでにします。