Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「描かれた暴力」について

「奇想の美術館」(アルベルト・マングェル著  野中邦子訳  白水社)の第8章である「描かれた暴力」について、気に留まった箇所を取り上げます。本章はパブロ・ピカソの絵画についての考察です。「さまざまに変化していったピカソの画風のなかで、けっして変わらなかったのは、モデルに対する態度である。友人や愛人たちがいうように、ピカソは他人に深く共感することができなかったのだろう。そのせいで、他人の肖像画を描くときも、結局は自画像になってしまうのだ。~略~ピカソの絵画では二つの感情が同時に燃え上がる。《泣く女》では彼女の個人的な苦悩、《ゲルニカ》では人類共通の苦悩。ピカソが《泣く女》を描いたのは1937年10月だが、それまでの1年以上をかけて、動揺するマールの顔をスケッチしてきた。《ゲルニカ》は1937年5月に完成したが、それから1年以上もあとまで、ピカソは雄牛、馬、鳥、虐殺される人びとの姿をスケッチしつづけた。どの時間軸をとるかで、これらの傑作に対する見方は変わる。《泣く女》の制作が《ゲルニカ》の前と考えるなら(ここではその立場をとる)、私生活で意図的に生みだされた苦悩を用いて、戦争という状況下で起こった残酷な行為ー空中爆撃で一般市民を虐殺することーを批判したということになる。《ゲルニカ》が先だと考えるなら、社会的な暴力という大きなテーマに用いられたイメージが、恋する女を客観的な冷静さで描くための一つの試みとして利用されたということになる。順番がどちらでも、一方の側には強烈な苦悩が表現されていて、それが想像力に働きかける力はとても強く、見る者の心に同情と反発を引き起こさずにはいられない。そして、もう一方の側には、計算された苦しみという試練が待っている。どちらも肖像画の現実の一部なのだ。~略~彼女(マール)はピカソの暴力にさらされただけでなく、あらゆる男、すべての男にとって暴力の標的になり、おあつらえむきの犠牲者として、路上で襲われ、盗みの被害者になった。彼女はピカソの創作のはけ口、一時的なミューズとなっただけでなく、彼を神そのものへ、聖なる天へといざなう導き手にもなった。」今回はここまでにします。

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